2014年5月16日金曜日

神我について



人は地位、名誉、お金それらを少しでも多く求めようとします。物質的価値観に生きてしまうのです。しかしそんな人間にも自分も神我が宿っていると感じる時があります。人は美しい景色を見ると感動し、愛する気持ちがあらわれます。


これが神我です。よく考えて下さい。なぜ自分でない「美」に感動し、愛せるのか。すべての快楽を肉体的、物質的に求めるならば人に対して何かを与えたらソンをすると思うのは当然です。
しかし人は美しい景色を見ると感動し、これを守っていこうなどと思います。それではなぜ自己ではない美を愛せるのか。
それには、そこに自己を感じるからです。すなわち美とは神の神性があらわれたものです。美を見た時神の神性を感じ、自分にとっての損得なんて関係ないと思えるのです。


物質的な損得関係なく、神性を感じるもの。
それが「真」「善」「美」というものです。真とはまさに霊的真理。その真理を受け入れどのように生きればよいのかを考え、前向きに生きることです。
「善」よいこと。他者のために愛の種をまいていくこと。「美」神の神性があらわれる。美しいものを愛する気持ちです。

スピリチュアリズムでは、この3つの真、善、美、が切ってもきれない概念です。なぜならそこにこそ、神、神性を感じることができるからです。


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