2014年5月24日土曜日

結婚は運命なのか、宿命なのか



運命と宿命。運命の赤い糸というように、私もいつか誰かと出会うことができる。ロマンチックにそう思っている方が多いようです。しかし結婚に関していえばそんなロマンチックな偶然は決してありません。そんな運命さえもあなたの意思。それが結婚です。




人との出会いを私はよく海にいる魚にたとえます。あなたは海を自由に泳ぐ魚です。そしてこの海の広さは定められています。つまりこの海も、あなたの出会う魚もすべて宿命です。そしてあなたの意志さえあればここに住む魚とどのような縁にすることもできます。




すなわち出会いは宿命です。出会った相手とどういう関係を結ぶかが運命なのです。これは結婚だけに関わらず、友人、職場関係も同じことが言えます。つまりはあなたの意志次第なのです。ですからステキな出会いがないと嘆いている人は、ただ怠けているだけなのです。どうか自分の力でステキな運命を切りひらいてください。


運命と宿命は料理と同じです。だからこそ、だれでもどんな食材であってもおいしい料理ができると断言はできません。自分自身の味覚つまり、あなたの考え方や努力が大きく人生に左右するからです。ですから途中で休憩したり、脱線したりしてもまったくかまいません。


ただ、料理をしていく過程で自分には関係ないと思うようなことでも、一度立ち止まって本当にそうなのか?考えてみてください。料理をおいしく仕上げるヒントがどこかにかくされているかもしれません。


人生は想像力です。人生はさまざまな困難や苦しみに思いをはせて、自分のおかれた状況に照らしあわせてみることが大切なのです。それが、あなたの明日を輝かせる運命の法則です。





2014年5月22日木曜日

運命と宿命について



運命は変えられるけれども、宿命はかえられない。
運命と宿命とは密接につながっています。しかし宿命は変えられないので、運命のことだけを考えていけばいい。ということではないのです。たとえばあなたが女性、あるいは男性として生まれてきたことは、生まれてきたカリキュラム、つまり宿命です。




生まれてきた親、容姿、国籍、時代など。これらはすべて宿命です。この事実は変えようがありません。そうすると「なんだ、やっぱり人生のほとんどは自分の意志でかえられないんだ」と思う人がいるかもしれません。




しかし、霊的視点から言えばこういうことが言えます。その宿命さえもあなたが生まれるまえにあなたの魂が決めたことだと。あなたが楽に生きられることはあなたの魂にとってなにも学べない環境だと言えます。何の苦難のない人生だったら学びの少ない人生になってしまいます。あなたが今の環境に生まれてきたのは魂を磨くため、現世で多くのものを学び感動し、魂を浄化向上するためなのです。




そうして選んだのが、他ならないあなたの性質、性別、容姿などであり家族なのです。魂を成長させるためには今の環境が必要だとあなた自身、魂が選んだものなのです。


宿命は私たちが選んだもの、そう考えれば私たちの人生には、自由な意思が与えられている。ということがよりご理解いただけたのではないでしょうか。







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2014年5月18日日曜日

動物と人間のスピリットの違いとは?



もちろん動物と人間の魂のレベルは違います。
鉱物、植物、動物、人霊、さまざまなレベルの魂(スピリット)が同じグループソウルに存在します。グレートスピリットから分かれた存在という意味では共通しているのかもしれません。しかし、魂(スピリット)の進化論で言えば鉱物、植物、動物、人霊へと進化していきます。


動物と人霊の差はかなりあります。動物は自分以外の他者を愛することはできません。これは動物以前の鉱物や植物にも同じことが言えます。石や植物が心ひそかに誰かを愛している。そんなことはありません。彼らは愛するのではなく、愛される方です。


つまり、鉱物、動物は愛の進化の過程を生きている存在です。まだ神性事態が人間よりも未熟なために愛するというところまでいっていないのです。このように説明すると、動物も他者を愛するではないか。飼い主を愛するではないか。とおっしゃる方も多いと思います。それは飼い主の愛に答えているだけで動物は神性という意味では、発揮されていないので自分から他者を愛することはできないので、自分から他者を愛することはできないのです。


ただ、愛に反応することはできます。ではなぜ、動物は愛に反応するのでしょうか?なぜなら、動物は自己保存の本能があるからです。その人が自分を愛してくれるからこそ自分は生きていけると思うのです。ですから動物に100%の愛を向けると100%返ってきます。一方人霊になると、物質的価値観の本能が働くために、100%の愛を向けてもあだで返ってきてしまうことも少なくありません。以上のことからもわかるように魂(スピリット)の質が違うのです。


しかし魂(スピリット)の進化論からわかるように魂には、鉱物、植物、動物の記憶も残っているのです。ですから利己主義という考え方は、動物から進化した人間特有の考え方であり。そこから大我へと成長するための私たちの現世でのつとめなのです。




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2014年5月16日金曜日

神我について



人は地位、名誉、お金それらを少しでも多く求めようとします。物質的価値観に生きてしまうのです。しかしそんな人間にも自分も神我が宿っていると感じる時があります。人は美しい景色を見ると感動し、愛する気持ちがあらわれます。


これが神我です。よく考えて下さい。なぜ自分でない「美」に感動し、愛せるのか。すべての快楽を肉体的、物質的に求めるならば人に対して何かを与えたらソンをすると思うのは当然です。
しかし人は美しい景色を見ると感動し、これを守っていこうなどと思います。それではなぜ自己ではない美を愛せるのか。
それには、そこに自己を感じるからです。すなわち美とは神の神性があらわれたものです。美を見た時神の神性を感じ、自分にとっての損得なんて関係ないと思えるのです。


物質的な損得関係なく、神性を感じるもの。
それが「真」「善」「美」というものです。真とはまさに霊的真理。その真理を受け入れどのように生きればよいのかを考え、前向きに生きることです。
「善」よいこと。他者のために愛の種をまいていくこと。「美」神の神性があらわれる。美しいものを愛する気持ちです。

スピリチュアリズムでは、この3つの真、善、美、が切ってもきれない概念です。なぜならそこにこそ、神、神性を感じることができるからです。


2014年5月11日日曜日

類魂の法則


私たちは肉体のみの存在でしかありません。肉体と霊魂(スピリット)が折り重なって生きている存在です。そしてあなたの魂には帰るべき故郷があります。


それがグループソウルです。ではなぜ私たちは、そのグループソウルからやってきたのでしょうか。それはこの世で多くの経験と感動を積み、魂を磨き成長させるためです。

しかし人というものは、今の不幸に不平だけをもたらして生きている、本当に幸せになる方法があるのにも関わらず、その方法を知ろうとしない。


また何も良いことをしないのに、自分だけの幸せを願うそうした傾向があるようです。これが人のつねとはいえ、霊的視点からみればなんとおろかなことでしょう。



あなたは良いことをしていますか?
ここまでのスピリチュアリズムを学んだ人はわかっているとおもいますが、カルマの法則によって自分がまいた種は自分でかりとるようにできているのです。


カルマの法則はスピリチュアリズムでもっとも重要な概念と言っても過言でもありません。しかし、多くの人は自分のしたいが返ってくると聞くとバチがあたることのようにとらえてしまいます。

悪いことをしたら悪いことが返ってくる。そのことばかり考えてしまうのです。良いことをしなければ、良いことが返ってこない。

ということを見ないことが多いのです。良いことも悪いこともそれをした分だけ返ってくる。これがカルマの法則です。
そうやって人間は等しく生きているといってもいいでしょう。




ではなぜあなたの幸せに導く「カルマの法則」を実行に移せない人が多いのか、それは類魂の法則を正しく理解してないからなんです。

自らまいた種は、自ら刈り取る。良い行いをすれば良いことが返ってくる。カルマの法則を本当に理解してさえいれば、あなたが幸せになることはとても簡単なことだと思います。

カルマの法則を学んだ気になっても人というのは、自分は不幸だ、とかどんなことをしたって幸せなんかなれない。そんなふうに思ってしまいます。


ではここで少し考えさせてみてください。よいことをしただけで幸せになれるといいましたが、そのよいことはいったいどういうことでしょうか。

まじめに生きなさい、正しく生きなさい。なぜなら他人に迷惑をかけてはいけないから。そんなふうにあなたは言われたことはありませんか。


しかし、一応はそれに納得していても本当の意味で理解している人はどれくらいいるでしょうか。つまりなぜ人に迷惑をかけてはいけないのか。その定義を説明できる人がいないからです。


人に迷惑をかけると、その人が不快になるから、それも一つの理由かもしれません。しかし、不快になっても知ったことではないといったらそれまでです。
自分が不快になるわけではないから関係ない。そういう考え方ができるわけです。


真面目に生きる、正しく生きる。その定義がないから人々は、自分の思うようにすればいいやと思うのです。


しかし、私ははっきりと言えることができます。スピリチュアルの視点に立って、まじめに正しく生きることは、グループソウルを理解した上でカルマの法則を実行し、良い種をまいていくということだと、それこそがあなたが日々行わなくてはいけないことなのです。
でも愛の種を撒いていくことだけだと、いうと人は損をすると思ってしまいます。






人には失うことへの恐れがあるからです。また肉体のみが自分だと思っているからこそ、物欲や肉欲の充足だけを求めて奉仕する魂の喜びを求めることはできません。

肉体のみが自分だと思っているから自分以外はすべて他者だと思ってしまうのです。
しかし、これこそがグループソウルを理解していないから自分自身の小我で正しいことを考えてしまうのです。

霊的世界には私たちひとりひとりに魂の家族があります。あなたの魂はグループソウルの一部分。例えていうならばコップに入った水の一滴です。

霊界にいた時にはあなたはグループソウルというコップの水の中でとけ合っていました。そしてあるとき、グループソウル全体の向上のために再生をこころざし、コップをはなれてこの世に生まれてきたのです。


そしてやがて、人生を終え、浄化向上したあなたは再びグループソウルへと帰っていき、コップの水をわずかでもきれいにさせるのです。

ですから、あなたの魂は現世で良いカルマを積み、魂を輝かせることがあなたのグループソウルを輝かせることになるのです。

そして美しく輝いたグループソウルはやがて神に溶け込んでいきます。他人は自分であり、自分は他人でもある。すべてはひとつなのです。

しかしあなたが人間は魂の存在であると理解していないと失うことのおそれが生まれてきます。そして快楽を追求するために他者を排除する感情と行為が生まれてしまうのです。


たとえばいじめなんていうものも失うことの恐れからでてくることです。自分という個を守りたいという恐れが他者を排除しようとするのです。物質的価値観をもち、他者を排除した方が優位に立てると思うからです。


グループソウルを理解していなければ、奉仕なんてまっぴらごめんだ。愛の種なんてまくもんか。そう思ってしまいます。でもよく考えてみてください。

私たちが現世での学びをおえ、故郷であるスピリチュアルワールドに帰るときもっていけるのは地位でも、お金でもありません。

経験と感動によって豊かに成長した魂だけです。ですから今のあなたをかえるには、まずこのグループソウルを理解する必要があります。












2014年5月7日水曜日

前世と同じ道を志した方がよいのか

前世が芸術家の場合、自分も芸術家の道を志した方がよいのでしょうか?


という質問ですが、基本的には学び、課題によります。
前世においてまだまだやり残しがある。もっともっとスキルを伸ばしたいと思うならば、同じ芸術の道を志すこともあるでしょう。また逆にそれ以上の経験をしてみたいと思って生まれてきた場合には別の道を、そして新たなる経験と感動を求めていくでしょう。


ではどのようにあなた自身の魂に気付くのでしょうか。
それは、あなたのた魂の赴くままに選択していくことが正しいといえます。







2014年5月6日火曜日

前世は動物



前世が動物だったということはありますか?


という質問ですが、前世が動物ということはあります。魂には進化の過程があります。鉱物、植物、人霊へと進化をしていきます。

ですから、私たちは人霊にはじめてなった場合には前は、動物であったということなのです。ですから私たちは、動物の気持ちもわかって同然。

もちろん、植物と鉱物の気持ちもわかるのです。ただ、お前は死んだらゴキブリだ!とよくいいますが、霊的視点からみれば進化はあっても退化はないということです。