つらい恋愛というのは、
失恋、禁断の恋やすすまない恋愛、など、いろんな状況があると思うのですが、
私が経験した中で、とくにつらいなーと、感じた恋愛は、すすまない恋愛でした。
何年たっても、といっても2年くらいしか思い続けられないのですが、いつまでも平行線のままという、ヘビの生殺し。
期待だけさせておいて、決着をつけないのは、苦しみながら生かされているような感覚です。
つらすぎて、早くやめたい、死にたいような気持になったときに、頭の中でツッコミが入りました。
「つらくないじゃん」
その瞬間、私は自分でつくった自分かわいそう。という幻に苦しめられてたんだということに気がついたとき、急にすとんと腑に落ちて、気持ちが楽になったことを覚えています。
自分が勝手に、「いつも大切にされない」とか「ひどい扱われ方している」という被害者意識をもって、つらい世界をつくっていたのです。
事実をそのままみると、”ただ会えていないだけ” ”連絡来ないだけ”、別にそこで自分かわいそうと、感情を紐づけなくていいんだと理解しました。
人に与えられていると思っていた苦しみは、自分が自分に与えていた苦しみ。
勝手に自分が作り上げた”おばけ”に、苦しんでいた。と気がついたとき、「もうやめよう」と心の底から思ったのでした。
連絡しても返信がないなら、別にいい。
自分のことに集中しようと決めたら、どんどん気持ちが楽になってきて苦しさがなくなっていきました。
今から考えると、私どうにかしてた。というレベルにまでになりました。
私は、いつも何かを吹っ切りたいときに旅行に行くのですが、非日常に行くと、ほとんど忘れることができます。
いつもと違う世界を見ていると意識が書き換えられ、過去のデータのように記憶が遠くになっていくのがわかります。
だいたい一週間くらいは、非日常の中で過ごすと、どうでもよくなっています。
はじめて見る景色の中でおもいっきり感情を出して遊べば、すぐに吹っ切れます。
”おばけ”にやられそうになったら、おもいっきり遊んでみてください。
そのままの状態では、何も変わらないと証明されているのだから、自分が変わるしかないのです。
旅に行って、帰ってきたらどうでもよくなり、連絡しないでいたら、急に相手が態度を変えてきたことがありました。
依存の心が相手にもわかったからだと思います。
私は自分の、子供が大好きで、愛してるのですが、まったくつらくありません。
きっと、子供にきらわれても一方的に私は好きだと思います。
自分から与える愛はまったくつらくはないけれど、相手に愛を求めるとつらくなる。
私は悩んでいたとき、相手を愛してると思ってたけど、愛ではなくて、恋愛ごっこをしていただけだと思いました。
その時はつらいと思っていたけれど、今思い返してみると、泣いたり、笑ったり感情を表現していて、なんだか楽しかったなぁという思い出です。